⑤本命の司法書士の勉強を開始

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司法書士試験は合格率2.8%の難関

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平成9年から司法書士の勉強を開始します。司法書士は、不動産や法人の登記を行う国家資格で、合格率はほぼ毎年2.8%。

その難易度を表現するのは難しいですが、司法書士の受験界で人気の東大卒の講師は「全く種類が違うので直接の比較はできないものの、司法書士に合格するのは間違いなく東大に合格するより数段難しい」と語ったりもしていますから、相当本腰を入れて勉強をしないと合格できない難易度であることは確かです。

この資格だけは本腰で取り掛からなければ攻略は無理だと思ったので、最も合格者を合格者を輩出しているLEC東京リーガルマインドという大手の資格試験指導校の講座を受講することにしました。

受講には120万ほどかかりましたが、これこそが本命の資格なので、覚悟を決めて支払いました。

司法書士の科目は、択一1次が、憲法・民法・商法・刑法の4科目。択一2次が不動産登記法・商業登記法・民事訴訟法・民事執行法・民事保全法・供託法・司法書士法の7科目。記述式が不動産登記法1問・商業登記法が1問のという内訳です。

科目を聞いたところで、この試験のどこがどんな風に難しいのかさっぱり分からないと思いますので、まずは一般的な総学習時間から説明してみます。

司法書士の総学習時間は諸説ありますが、ここでは3000時間として考えてみます。司法書士にチャレンジする方の中には、仕事をしながら宅建や行政書士の資格が取れたから、その延長で挑戦してみよう、という方が多いのですが、これと同じような感覚で勉強したらまず合格できません。

まず、司法書士の最もオーソドックスな講座は15か月コースですが、このコースを仕事を持っている方が一通りこなそうと思ったら、とんでもないことになります。

合格までの標準勉強時間は3000時間ですから、これを15か月間(64週)で割ると、1週間に約46.88時間(約47時間)勉強しなければならない計算になります。

仮に平日が5日間で1日5時間勉強しても、平日は25時間しか勉強できませんから、土日にそれぞれ11時間ずつ勉強する必要があります。(平日5時間×5日+土日11時間×2日=47時間)

仕事をしていると1日2時間の勉強時間でも厳しいのに1日5時間です。それを毎日欠かさず1年間3か月の間毎日休まず続けた上に、休日は全て1日11時間。そんなことができると思いますか。

1日の試験中に全ての科目でベストな状態にしなければいけない

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受験指導校もビジネスですからそんな現実は教えません。15か月頑張れば、とりあえず一通りの勉強ができて受験できるようなことを言います。

それを鵜呑みにして高額を払ってみても、まあ、皆さん授業についていけません。私は、宅建や行政書士に合格した流れで司法書士に挑戦した方を5人ほど知っていますが、全員最初に習う民法で脱落しました。

相当の勉強時間が必要と分かったら、次は長期計画で頑張ろうとみんな考えますが、それはそれで問題があります。

長い時間をかけて一通り民法を勉強をして、次は商法という新しい科目を学んでいくわけですが、勉強していくうちにみんな思うのです。「民法を終えてだいぶ経ったけど、まだ頭に残ってるかな?」と。

そう、一つの科目に時間を掛け過ぎると、他の科目を忘れてしますのです。司法書士試験が一番厄介なのは、範囲が膨大なのに、1日の試験に全ての科目でベストな状態にしなければいけないということす。

これと対照的なのが税理士試験。5科目を一気に合格しなくても、1科目ごとに合格していくことができます。

このような試験の特性から、仕事をしながらの受験は相当厳しいので、本気で短期合格をしようと思うなら、まずは勉強に専念できる環境を整える必要があります。

生活費と学費を稼ぎながらの勉強

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私の場合は、この環境の確保に苦しみました。親が司法書士の方などは、合格にどれだけの時間と費用が必要かについて理解があるので、勉強に専念できる環境を整えやすかったりもしますが、私のように全く勉強することに理解してもらえる身内がいない場合は、生活費や学費を稼ぎながらコツコツ勉強しなければなりません。

私が司法書士試験の勉強を続けていく上で一番困ったのは「合格に必要な勉強時間と生活場所の確保」です。戦える環境を整えること、それが一番難しく一番大切なことでした。

時間とお金さえあれば・・・と何度も思いましたが、誰もが同じことを思いながら受験しています。嘆いたところ仕方ありません。

私は、何とか頑張って全科目の勉強を終え、過去問もほぼ解けるというレベルまで行ったところで、(今はなき)日本司法学院という司法書士試験専門校の合格答練を受講しました。

最低限、過去問はできるようにしたから、大体は解けるだろうと思っていると、半分くらいしか解けずに相当落ち込みました。しかし答練は毎週毎週どんどん新たな科目で進んでいきます。

約半年間受講しましたが、結局半分くらいの順位しか取れませんでしたので、もう一度根本から組み立て直さなければいけないと思いました。

司法書士事務所に勤務

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お金が尽きて勉強に専念できなくなった私は、司法書士事務所に勤めて実務を学びながら勉強を続けることにしました。

しかし、いくら司法書士事務所の募集を探しても地元の岡山には募集が全くありません。仕方なく隣の香川県の司法書士会に電話して問い合わせてみると、1件だけ高松市の事務所が募集しているということで、すぐに面接に行くことにしました。

行ってみると、司法書士のY先生と20代前半の従業員の男性が対応してくれて、一通り私の思いや意気込みなどを話しました。感触は良かったものの、自分の他に後2~3人面接してその中から一人選ぶということだったので、回答は後日になるという返事をもらいました。

ドキドキしながら回答を待っていると、採用してもらえるとの連絡が入ったため、香川県高松市の司法書士事務所で仕事を開始することになりました。

私は平成12年から香川県高松市にある司法書士事務所に勤務し始めました。一応、勉強で司法書士の勉強はしていると言っても、実際に書類を作るのは初めてです。

パソコンの入力の仕方、住民票・戸籍謄本の請求方法、市役所・法務局の場所などの基本的なことは、Y先生と補助者のY君があいつも優しく丁寧に教えてくれたので、何も困ることはありませんでした。

Y先生の生き方や人との関わりから色々考えさせられる

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Y先生の事務所に勤めて、間接的にY先生の家族を知っていく中で、Y先生の3人の子供たちが全員、良い育ち方をしていることを知った私は「どんな教育をして子供は真っすぐ育ったんだろう?」と思い、いつも先生に子育ての仕方や考え方を質問していました。

先生の生き方や教育に対する考え方は、私の子育てにも大きな影響を及ぼしましたので、少しご紹介していくことにします。

広島出身のY先生は、広島に原爆が落とされたとき胎児で、被爆して身体的に様々な影響が出たそうです。その後、勉強を頑張って学校の先生になり、数年頑張ったものの、体を壊して退職を余儀なくされました。

それでもめげずに勉強を頑張り、香川県に移って司法書士になりました。元々教師だった経歴が影響してか、先生は雰囲気も考え方もまさに教育者だったので、私は司法書士の実務を習う感覚で仕事をしていました。

夕方仕事が落ち着くと、Y先生との会話から、先生の人生・人間関係・家族の様子などが見えてくると、私は色々なことを考えさせられました。

Y先生の奥様は、国立大学の准教授です。先生のどんな生き方や教育がそういう人間や人間関係を作り上げたのか、私はその辺りが気になりました。

そこで私は先生に「先生が広島大学に行ったのは、家系的にみんな進学が当然のような感じだったんですか?」と聞きました。

すると、先生は「いや、うちは勉強を勧めるような家じゃなかったから最初は進学はせんという話になっとった。じゃけどうちのお婆さんが”勉強できるんなら勉強させちゃらにゃーいけん!”と強く言うてくれて、そのおかげで大学に行けるようになったんじゃ。勉強は、身内の誰かが協力してくれんと自分だけの力じゃそうそう行けんからな。今のワシがあるのはお婆さんのおかげなんじゃ。」と答えました。

私は先生のこの話を思い出す度、自分の人生とも重ね合わせて「子供たちが勉強をしたいと言ったときは、できるだけの協力をしてやらないといけないな」と思います。

また、私は奥様について「自分の妻が大学の准教授だと、やっぱり誇らしい気持ちになれたりしますよねぇ」と聞いてみると「う~ん、あんまりしっかりされると男としては立場がなぁ。それに外でいくらしっかりやっとっても家の家庭科は0点じゃ!」と言って笑っていました。さすがに妻の話には照れるようです。

長男

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私が先生に、偏差値68の岡大医学部に入った長男について「どんな勉強をしていたんですか」と聞くと、先生は「特別なことは何もやっとらん」と言いました。

しかし詳しく聞いていくと、長男が小学校高学年になるまでテレビを家に置いていなかったとか、長い間勉強に付き添って見ていたとか、子供がいつでも分からないところを調べられるよう辞書やその他の本を大量に置いていたとか、やはり子供の勉強を、直接的・間接的にサポートしていたことが分かってきました。

おそらく子供たちは、日常生活での親との関わりの中で「勉強っていうのはこんな風にしたらいいんだ。」という、勉強のやり方をマスターして、後は子供が自発的に勉強が進めていった、というところなのでしょう。

次男

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次に、次男は学生の頃から野球に没頭し、高校3年の大会では3番で出場して優勝した尽誠学園をあと一歩で下すところまで追い込んだ元高校球児。4打数4安打の大活躍をしながらの1点差負けは相当ショックだったらしく、その悔しさをバネに今度は高校野球の監督として舞い戻り、今まさに甲子園に行ける寸前のところまでたどりついています。

私は、どうやったらそこまで一つのことに打ち込める子供に育てられるのかと先生に聞きました。するとまた長男の時と同じように「特別なことは何もやっていない。」という答え。

でもやはり詳しく聞いていくと、次男が悩んだ時はいつもじっくり相談に乗り、一緒に考え、試合にはいつも応援に行って声援を送っていたことが分かりました。そういえば先生は私にこんなことも言っていました。

ワシは大したことは言えんけど、これだけは言うとくぞ。子供はどんぐりと同じじゃ。どんぐりは元々自分の中にパワーを持っとる。親がしてやるんは、子供がそのパワーを間違って変な方向に向けてしまったときにちゃんとした方向に修正してやることや親が子供の持っとるパワーを信じずに、あっち行けー、こっち行けー、みたいなことばっかり言うとったらいかん。それだけは覚えとけ。

三男

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最後は、そんなどんぐりパワーを一番感じてしまう三男です。次男と同じ高校で野球に励むまでは一緒ながら、皆から阪神の川藤と言われて親しまれるお笑いキャラ。

しかし、大学に行くと友人共に独自の研究をして新聞に取り上げられ、今度は建築デザインが面白そうだと、バイク一つで日本のみならず世界を飛び回り、誰もが知る大手ゼネコンに就職して活躍中。

私は先生に「あの天真爛漫な性格と自由奔放さは一体どこからくるんでしょう」と尋ねたところ、先生も「あいつだけはワシにもよう分からん。たぶん宇宙人なんじゃないか」と言って笑っていました。

それに続けて「実はあいつ、中学生のとき良くない友達と深く付き合うてしもうて、そこに入り込んでしまいそうになったときがあったんや。でもな・・・ちゃんと話したら、あいつは自分でのグループを抜け出した。あいつにとってはあそこが転機じゃったかもしれんな・・・」

としみじみ語ってました。私もこの三男と話しましたが、人とは違う考え方をする天才か鬼才かよく分からないタイプのお笑い系。

確かに一歩間違えば悪いグループにも側面も確かに感じましたが、最終的に三男が自分の判断で抜け出したのは先生の「子供自身に考えさせる教育」の意味を子供たちが理解したからではないかと思います。

そういえば先生は、教育についてこんなことも言っていました。

必要なものは与えてやらんといかんけど、与え過ぎてもいかんのや。えーよーに育てるコツは、必要な量より
少し足りんくらいで渡してやるんや。そしたら子供は少し足りない分をどうしたらええかと考える。あーでもない、こーでもないとそれがええ勉強になるんや。

最後は私についても聞いてみました。

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:先生から見て僕はどんな感じに見えますか?

先生:お前はナイフみたい切れ味はないが・・・芯はしっかりしとる。まぁ例えるなら鈍刀じゃ。

:鈍刀?それって切れ味悪いってことですよね。
カッコ悪いなぁ。もっとカッコよくスパッといけないですかね

先生:いや、お前は鈍刀のままでええんや。鈍刀には鈍刀の良さがある。無理してナイフになろうとせんでええ。確かにお前はスパッという切れ味みたいなのは無いが、「めんどくさい、根こそぎ切ってやる」みたいな力強さがある。ナイフでは切れんもんが切れたりするっちゅうことや。お前は案外教育者になったら良かったかもしれんのー・・・

:なんでですか?

先生:まっすぐ子供に向き合ってやりそうやからや

:そうですかねぇ・・・

何も考えずにに先生とした会話をまさかこんなところで紹介することになるとは・・・

司法書士事務所を退職

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こんな風に私は、先生と同僚のY君と仲良く3人で仕事をし、夕方にはビールを飲み、たまに飲みに行き、私の家でも飲み、旅行に行っても飲み・・・と楽しく充実した毎日を過ごしたのでした。

・・・というのは普通の職場なら良いのですが、私には「司法書士の試験に合格したら結婚しよう」と約束している当時29歳の女性がいました。その時既に交際期間は5年でこれ以上待たせるわけにもいきません。

仕事をしながらも、自分を律して高レベルな勉強を続けられたら合格の可能性も見い出せたのですが、約2年間司法書士事務所で働いてきて「自分の甘い性格でこのまま働き続けていたら、いつまで経っても絶対に受からない」と分かってきました。

司法書士の試験は、受かる人は短期集中の勉強で一気に受かったりもしますが、受からない人は10年経っても受からず、そのために「結婚して普通の家庭を築く」といった人生設計ができなくなっている人が、潜在的にはたくさんいます。

司法書士試験の合格率はほぼ毎年2.8%。。100人受けたら97人が落ちる試験です。実際、私が司法書士事務所に勤める前に在籍していた50歳を超えた補助者の方は、結婚して家族を作る夢も何もかも諦めて勉強を続けていました。

私自身、資格試験の勉強機関が長く続けているうちにパワーを失っている自覚がありましたので、自分の人生をじっくり考えた末「1年間試験に専念して落ちたら結婚して普通の家庭を築く」と決めました。

在籍したのは僅か2年でしたが、先生との出会いは私の人生観を変えました。私がこれまでの関わってきた大人たちに対しては「なぜ?どうして?」と思うことの連続でしたが、先生の言うことは素直に受け入れられました。

誰もが安心する優しい性格であった反面、重要な局面では絶対引かない男気もありました。先生が父親だったら自分の人生はどうだったろう・・・そう何度も思いました。

そんな思いの中で事務所を辞める決断をするのは辛かったです。しかし、中途半端は良くないと思って決断しました。

続き・・・「最後の1年」

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