③一家無理心中もありえた母子家庭

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母子家庭

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A男がいなくなった西田家は完全な「母子家庭」になりました。女手一つで子供三人を育てることになったのです。この頃私は中学2年生だったと思います。

この頃母は、生命保険の勧誘の仕事を始めました。最終学歴は高卒の母ですが、聞けば高校でいつも上位5番以内には入るくらいの頭脳ではあったらしく、この時就職した生保の入社試験も数十名の中で成績トップだったと確か聞きました。

しかし、現実の世の中では試験の成績より販売の結果がすべて。成績を上げなければ大してお金にならないこの仕事は口下手の母には全く不向きで、1年もしないうちに辞めることになりました。そして、その後に就職したのが鰹節工場。完全な肉体労働です。

私自身はどれだけ大変な仕事なのか知りませんが、帰宅した母の疲れ切った表情などを見ると、相当大変だったと思います。思えば、当時はバブル景気に突入したとされる頃でしたが、母のようなパート職員には、好景気を感じる出来事は微塵もなく、給料は母と子供3人が暮らしていくにはギリギリの金額だったようです。

この頃の母は、毎日の生活に相当な苦痛を感じているようで、ちょっとしたことにもヒステリックに怒っていました。子供三人はそれが怖くて嫌でたまりませんでした。しかし今から思えば、ギリギリの生活が続く毎日に、母としては心身共に限界に近い状態だったようです。

家に帰った途端に何でも怒る理由をみつけて怒鳴り散らすのが普通になっていましたので、私は「もうそろそろお母さんが返ってくるぞ!洗い物したか?掃除したか?部屋は片付いてるか?洗濯物は取り込んで片付けたか?」などと妹二人に指示して考え得る限りの母が怒る要素を取り除きました。

そして仕上げは「キンキンに冷えた飲み物を用意しろ!」と言って、帰宅後10秒で母に飲み物を差し出せる準備を整えます。

そこへいつものように鬼気迫る表情で母が帰ってくると、私が「お母さん、どうぞこちらへ」などと調子良く台所に案内し、妹にすぐさまキンキンに冷えた飲み物を差し出させます。

少し落ち着いた母の前で、私は妹二人に「洗い物したか?掃除したか?部屋は片付けたか?洗濯物も片付けたか?」と聞き、妹二人が元気よく「全部できたー!」と答えます。

そして兄妹三人は「これでも何か文句ありますか?」と言わんばかりの笑顔で母の顔を見ると、母は「さすがにこれでは怒れんな・・・」といった感じの苦笑いを浮かべていました。

一家無理心中もやりかねなかった母

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「親の心子知らず」と言いますが、この頃の相当苦しかった家の状況を子供たちは全く分かっていませんでした。大人になってからこの当時の心境を母に聞くと、母は真顔で「あんまり生活が苦しかったから”子供三人を放って一人だけ死ぬわけにはいかないから三人殺して自分も死のうか”と夜に何度も考えていた」と言いました。

それを聞いた私は「この人なら一家無理心中もやりかねんな・・・」と怖くなり、とっさに「お母さん、僕らはほったらかしでもいいからとりあえず殺さんといて。いきなり刺されて死にたくないから。」とお願いしてしまいました。

今でこそ笑い話のように語れますが、実際に貧困はここまで人を追い詰めます。生きる力が乏しいと、人生は本当に辛いものになります。

母はその後、介護の業界に入って介護福祉士やケアマネージャーとなり、現在もその仕事を続けています。合格率が20%程度のケアマネージャーにあっさり合格しているのを見ると、テストには強い方なのだと思います。

頭の回転は結構速いので、能力をうまく活用できていたら、もっと好条件の仕事ができていたように思います。

しかし、この「たられば」こそが「しても仕方ない愚かな話」です。世の中には「やればできる人」は他にいくらでもいます。いや、世の中の大半の人が「やればできる人」と言った方が正しいでしょう。私が昔読んだ本にはこの点についてこんな風に書いていました。

元々やる能力が無い人は馬鹿とは言いません
やればできるのにやらない人が馬鹿なのです

こう書くと「お母さんだって今は立派に仕事をしているのに、そんな風に書かなくいいじゃないか」と言われるかもしれません。

しかし、そんな甘いことが言えるのは、本当に厳しい貧困の現実を知らないからだと私は思います。能力がある人は「あんな選択肢もこんな選択肢もある」と言ってすぐに抜け出せるでしょうが、能力がない人は、いくら目の前に良い選択肢があっても、それを選んで使う判断力や決断力や実行力が無いので、そう簡単には厳しい現実から逃れられないのです。

一家無理心中を考えるほど苦しんだ母を知っている私には「もっと賢ければあんなに苦しまなかったのに」という思いが強く、ちょっと資格を得たとか、今は暮らしが安定しているとか、その程度の話で易々と過去の出来事を肯定などできません。

社会はジャングル

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これに関連したことをお笑い芸人の小籔さんが「社会はジャングル」と以下のように熱く語っていましたのでご紹介します。

社会なんてジャングルやから、サソリもおったら毒蛇もおる、ホテルも無ければコンビニも無い、そういったところに子供を送り込まんといけん大人がジャングル行く前の子供らに

「あっこジャングルめっちゃええとこやで、すっごい快適で、ほんまなんもええねん」

とか言うてたら、子供は何の準備せんとパンツと靴下だけ持って「ジャングル行こか」ってなんねん。ほんならいきなり「うわ~暑~!蛇おるやん!嫌~!私嫌~」言うて引きこもるねん。

当たり前や!大人のせいや、これは~!ジャングル行く前の子供らには

「ジャングルなんか死ぬほど暑いし、毒ばっかり・・・毒蛇・・・変な鳥・・・何も無いぞ!そやから、もうホンマに努力して・・・お前がめっちゃ鍛えて・・・勉強して・・・いろんな準備して社会行けよ!」

言うたら頑張りよんねん。それをアホみたいに「夢は叶うんや」とか言うて・・・。

かなり過激なトークで賛否両論あると思いますが、私は仕事で離婚相談をしてきた経験上、生きる知恵や能力が無くてボロボロになっている人を嫌と言うほど見てきたので、この話にはとても共感してしまいます。

力が無い親は「子供が進学を望まないこと」を期待する

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貧困の母子家庭の中にいた当時中学2~3年の私の学校の成績ですが、大体300人中の70~110番くらいでした。

大体3分の1程度には入っているけれど、勉強ができるとまでは言えない。そんな中途半端なレベルですね。自分で言うのも変ですが、どちらかというと真面目な方なので、親から勉強をしろと言われなくても、それなりに勉強はしていました。

それは、未熟ながらも「ある程度勉強していないと将来困るんじゃないか」という思いが心の奥底にあったからです。

中1の頃にやっていた進研ゼミは、前述のとおり続かずにやめて、中2からは塾も通信教育も一切やりませんでした。

団塊ジュニアと呼ばれる、第二次ベビーブーム世代(1971~1974年生まれ)の私を取り巻く世の中は「受験戦争」という言葉が頻出する競争の激しい時代で、友達の多くは塾に通っていました。しかし私はそんな時代の雰囲気に一切焦りを感じることなく、淡々と自分のペースで勉強をしていました。

中2から中3の頃に購入した教材は参考書が1冊だけ。国語の五段活用をきちんと覚えたくて母に買ってもらいましたが、私はその1冊さえも使いこなせませんでした。

今思えば、当時の私は、成功するために必要な知識や知恵を何一つ持っていませんでした。明確な目標・期限・戦略・・・そんな具体的なことを考えたことは一度もありませんでした。

誰にも期待されていないし、具体的な目的も目標もない。だからやる気もそれほどない。そんな状態の私は進学についてこんな風に考えていました。

「将来大学に行こうと思ったら、高校は普通科に行った方が良いよな・・・。よく分からないけど大学に行ってた方が良いんじゃないかな・・・でもうちにはお金が無いから大学なんて無理かな・・・」

そんな風に思っていると、母が進学について「あんたどこの学校に進学したいの?」と聞いてきました。私は大学進学の前提として普通科の高校に進学したい本音はありましたが、母がお金のかかりそうな進学を望まれても困る…といった表情がありありと感じられて「うん・・・商業高校でいいかなって思ってる」と答えました。それを聞いた母は「そう、分かった」と言って表情が急に明るくなりました。

裕福な家庭で育った方に、私や母の心情がどれくらい理解できるでしょうか。親はみんな子供の幸せを願っています。

子供の希望を叶えてやりたい。
行きたい学校に行かせてやりたい。

大抵の親はそう思っています。しかし「してやりたいけどできない」という経済的な壁に直面した力の無い親は「子供が進学を望まないこと」を期待します。

「子供自身が望んでいないんだから」

そう考えて自分を納得させようとします。悲しいかな、良くも悪くもこれが弱者の思考回路なのです。子供の幸せを願う気持ちはあっても、それを叶える自信も元気も勇気も無い・・・。こんな状態で、子供に「無限の可能性」なんて与えられるはずがありません。

金を失うのは小さなこと、名誉を失うのは大きなこと。
しかし、勇気を失うことはすべてを失うことだ。

こんな名言を残したのは、元イギリス首相のウィンストンチャーチルです。貧困は確かに厳しい現実です。しかし最も致命的な貧困は、勇気を失った心の貧困だと私は思います。

何かが切れた三者面談

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母に商業高校に行くと告げてから少し経った頃、進学に関する先生・保護者・生徒の三者面談が行われることになりました。私は面談が始まる直前までこんな風に悩み続けました。

「母には商業高校でいいと言ったけど、本当のそれでいいんだろうか?今ここで普通科に進学したいと言わなければもうチャンスは無いぞ。でも、うちにお金なんか無い。普通科に行きたいなんて言ったら怒るんじゃないか・・・どうする?どうしたらいい!?」

そんな悩みに結論が出ないまま、三者面談が始まりました。そして面談の冒頭で先生から「どこに進学したいと思ってる?」と聞かれました。一呼吸おいて私は一言「普通科に行きたい・・・」と、弱弱しい声で言いました。

すると、横に座っていた母が私の方を向き、悲壮感漂う声で「あんた商業高校でいいって言ったが!」と大きな声で言いました。私はそんな母の姿と言葉を受けて「あ、終わったな」と思いました。そして一言「もう商業高校でいいです。」と言いました。そこから先の記憶は一切残っていません。

人にはそれぞれ人生に大きな分岐点があると思いますが、私にとってこの三者面談は、まさに人生の分岐点でした。そこで私の中の何かが切れました。

当時の自分の成績なら、大して勉強をしなくてもその商業高校に入れることは分かっていたので、そこから完全にやる気を失いました。

当時は「みんなが勉強が大変そうだけど、僕は頑張らなくても行けそうだから良かった良かった」などと言っていましたが、そんな能天気な言葉とは裏腹に、心にはどんよりとした雲が覆いかぶさっていました。夢や希望なんてありません。

いくらか賢ければ、そこからいくらでも無限の可能性を追究して頑張れたのでしょうが、なんせ当時の私は、自分も他人も世の中も分からない馬鹿でしたから、時の流れに身を任せてフワフワと漂っているかのように生きていました。そんな状態ですから当然成績は落ちていきます。

しかし「結局目標は商業高校の合格だからそんなに勉強しなくても大丈夫」と言って、必要最低限の勉強だけをしていました。そんな経緯で私は地元岡山の岡山東商業高校を受験し、予定通り合格しました。

一応合格はしたものの、精一杯努力をしたわけでもないので、大した喜びはありませんでした。しかし、私の仲の良かった友人の中には、予想以上の結果を出している者もいました。

中2の後半くらいまでは私より成績の悪かった友人が、最後に頑張って岡山でトップクラスの朝日高校に合格していました。

私の仲の良かった友人たちの多くは大学進学を前提とした普通科の進学校に合格し、それはそれで喜ばしいことではあるのですが、私はその中に入れなかったので、一人だけ取り残されたような感覚に襲われました。これが人生で最初の挫折と言えるかもしれません。

落ちこぼれた高校時代

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何の目的も期待も無い中で、私は岡山商業高校の商業科に入学しました。最初のテストは確か300人中100番くらいでしたが、そこから私の成績は下降の一途を辿り、最低の時などは学年で下から10番以内のところまで落ち込んだりしました。

高校生活を卒業後に振り返ってみれば、最初のテストの結果が最高の結果でした。ここでは、私が高校で落ちこぼれた理由を書いてみようと思います。私は商業高校に入学したとき、具体的な目的や目標を何一つ無く、次のように考えていました。

  • 自分は進学しないから卒業すればそれで十分だ。
  • 簿記やそろばんで級を取らなくても卒業できるならしなくていい

そんな愚かな考えを持っていたところ、入学して最初の授業で大きなショックを受けました。原因は私のすぐ後ろに座っていた一人の生徒です。

リーゼント頭をしたヤンキーかチンピラかという風貌のその男は、それまで私が出会ったことのない異色の生徒でした。授業が始まって少しの間はおとなしかったのですが、突然その生徒が「あああああああ!」と大声で奇声を発したのです。

そこで一体何を言い出すのかと思えば、先生をおちょくるような言い方で「せんせーい、わかりませーん」などと言い出します。私は正直「ここは動物園か!」と思いました。

こんなことをされたらさすがに先生も怒るぞ、と思っていましたが、先生は単におちょくられているだけなのに、生徒とのトラブルを避けたい様子で「どこが分からないかな?」などと、生徒に媚びへつらうかのような対応をしていました。

その姿を見て「ふざけんな。怒れよ!どうなってんだ、この学校は?生徒も生徒なら先生も先生だ!」と腹が立って仕方ありませんでした。

そんなイライラが残っている中で次は英語の授業。教科書を開くと・・・「あ~!英語の文字が大きくなっている!」そこで私は「・・・そうか、俺はこういう世界に来てしまったんだ・・・」と思いました。

休み時間になると「ポマード貸して~!ポマードポマード!」などと言ってヘアスタイルばかり気にしている同級生が結構いたのですが、小学校・中学校と柔道をずっと続けて丸刈りだった私にはそういった光景を一つとってみても「なんだ、この軟弱な奴らは!」という憤りに繋がっていきました。

腹を立てたところで、そういう環境に入ったのは自分の責任です。「俺はこういう奴らと同じレベルってことか」と思うと、本当に情けなくなりました。

そんな絶望を感じていた中で、うっぷんを晴らすことになったのが、小学校からずっと続けてきた柔道です。最初は「柔道は練習が大変だから絶対にやらない」と言っていましたが、一応練習風景を見てみようと道場に足を運んでみたところ、可愛い女の子が一人ポツンと練習を見学していました。

私はその可愛い女の子に一目惚れをしてしまいました。私が「柔道部に入ろうと思っているの?」と聞くと「うん、面白そうだなと思って・・・」と言ったので、私はさっきまでの「柔道は絶対にしない」という言葉をいとも簡単に撤回し「実は僕も柔道部に入ろうと思っているんだ!」と言ってすぐに柔道部に入りました。

なんとも単純で不純な動機に自分でも恥ずかしくなりますが、今から思えば「あの強い動機をもっと有効に使えば良かったな」と思わずにはいられません。

たとえば「岡山県で一番になれば付き合ってくれるはず」といったような勝手な思い込みで目標を作れば、もっと必死に柔道に打ち込めたかもしれません。行動の原動力となる目的や動機、それが強ければ強いほど強い効果を発揮しますから、そんな動機をうまく活用しなかったのはとても残念なことをしたと思います。

「全く」勉強をしなかった3年間

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私は高校生活の3年間、エネルギーは全て柔道に注ぎ、勉強は全くしませんでした。全くというは言葉どおりの「全く」です。学校から教科書を持って帰ったことは一度もありませんから、当然家で教科書を開いたことも一度もありません。

授業も全くやる気がありませんでしたから、先生の言葉はまさに「馬の耳に念仏」で、何一つ頭に残さぬまま通過していきました。

授業を受ける生徒自身が勉強をするつもりがなければ、いくら素晴らしい授業を受けても何も残らない、ということです。こういうのが一番の「時間の無駄」だと私は思います。

中学生の頃は、それなりに勉強していたので「授業に全くついていけない」というほどのことはありませんでしたが、高校生になると、予習も復習も授業中も全てしていませんから、完全に勉強についていけなくなりました。

特に、数学や英語などの、積み重ねが影響する科目では「ついて行けない度」が半端ではありませんので、授業の際はいつも「この時間は本当に無駄だなぁ」と思っていました。

繰り返しになりますが、こういう時間は本当に無駄です。分からない授業を延々と受け続けることに意味はありません。

賢い人は時間の大切さを知っているので、自分に与えられた時間を最大限に活用して、最大限の成果を出していきます。

私が通っていた岡山東商業高校の卒業生で私が知っている先輩でも、在学中に日商簿記の1級を取り、卒業後に税理士と司法書士の資格を取得した方もいらっしゃいますし、事業を起こして大成功した方もいらっしゃいます。

私は、勉強に関して学校との相性は相当悪かったですが、相性や気運が合えば大きな成果が表われます。2歳年下の私の妹は中学生の頃、全く勉強をしない落ちこぼれでしたが、先生が「さすがにそこは難しい」と言っていた私と同じレベルの商業高校に奇跡的に合格しました。

「先生が無理と言った高校になんとか入れた!」と言って喜んだ妹は、周りの人から「ビリから始まるんだから、ちゃんと真面目に勉強しないとついていけなくなるよ!」と言われ、覚悟を決めて必死に勉強をしていったところ、どんどん成績を上げて、成績はいつもトップクラス。

卒業する頃には日商簿記の1級を取得して学校でも表彰されたりもしていました。成績を落としまくった私とは完全に正反対のパターンです。

成功の秘訣は謙虚に学ぶ姿勢があるかどうか。私は高校生の時、勉強の具体的な目標どころか「勉強をする」ということ自体の意識が欠落していました。

こんな風に、成績がいくら悪くても「やってないんだから当たり前!」と言って反省も改善もあり得ない状態でしたから、成績が上がるはずがありません。

私のような馬鹿は、自分の人生について具体的に考えず、目的も目標も持たないまま大切な時間を浪費し、気が付いたらいつの間にか高校生活が終わっていた、ということになります。

そういう日常は、たとえ一瞬一瞬の楽しさはあっても、本当に心の底から湧き上がって喜びや充実感のようなものはありません。みなさんは、小学校・中学校・高校・大学の卒業式で泣けましたか?

本当に一生懸命頑張った何かがあれば泣けると思います。高校球児なんかは甲子園のグラウンドでよく泣いていますよね。私は、残念ながらあんな風に感動し泣ける時間の過ごし方をしていなかったので泣けませんでした。

私は本当にもったいない時間の過ごし方をしました。私と同じように「もしあの時代に戻れたら・・・」などと思っている大人はたくさんいます。

しかし、過ぎた時間は戻ってきません。もし過去に後悔する何かがあるなら、できることはただ一つ。「今」を変えること。

過去は変えられなくても「充実した今」は自分で作り上げることができます。私は、学生時代に充実した時間を過ごすことができませんでした。だから塾の経営を通して「子供たちの今を充実させてあげたい」「同じ過ちをして欲しくない」と思います。

適当に決めた就職先

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高校生の頃の私は、前述のように将来の展望を何も考えていない馬鹿な生徒でしたから、就職も本当に適当に決めてしまいました。

3年生の終盤、いよいよ就職先を決めることになりました。人生設計を真面目に考えない愚かな私は、僅か5分ほど資料を見ただけで適当に就職先を農協と決めてしまいました。

決めたり理由は「何となく安定してそう(お役所っぽい)」「職種が事務と書いてある(営業ではない))「遠方への転勤はない」「賞与が8か月分と多かった)」という理由ですが、後から振り返ると、もう少しよく検討すべきだったと思います。

これを読む方の中には、これから就職先を決める人もいると思いますので、私のような失敗をしない様、私の反省点を書いていきます。

まず、就職先は人生を大きく左右するかも知れない重大な問題なので、経験値の多い人両親・親族などに相談して、十分な情報を得た方がいいでしょう。私のように高校生一人で決めてしまうというのはもってのほかです。

親の中には「子供の意思を尊重して・・・」と言って、あまり口を出さない人もいるようですが、経験値の低い子供は、何をどう検討したらいいのか基本的なことが何も分かっていないことの方が多いと思いますので、大人は基礎的なことを教える程度のことは最低限してあげなければなりません。

私など、農協について「安定してそう」と思っていましたが、こんな感想は、子供の幼稚な読書感想文みたいなもので、何の具体性もありません。確かに農協の給料は安定していますが、それは低レベルで安定しているだけです。ですから私はいつも「低レベルの安定は究極の不安定だ!」と言っていました。

次に、求人票には職種に「事務」と書いていましたが、実際は営業でした。「あれは嘘だったのか!」と思って聞いてみると、「あ~、あれは女子職員のことね」という酷い回答。「それなら事務は女性のみって書けよ!」と思いましたが、面接のときに気付いても仕方ありません。

農協のような大きな組織の場合は、あちこちに働いている人がいるので、実際に働いている人やその他の関係者から実情を聞けば、かなりの情報が得られます。面接を受ける段階で真実が分かっても遅いので、重要なことは前もって調べておくべきです。

次に、私は転勤族になって全国各地を回るような仕事はしたくなかったので、当時岡山市内にある20支所の中でだけ転勤のある農協を選びましたが、会社というものは時間とともに色々なことが変わります。

実際農協は合併合併を繰り返して、岡山県内の農協はほとんど一つに統一されました。これはつまり、県内であればかなり遠方にも転勤になる可能性はあるということです。

当然のことですが、会社は時の経過と共に事情が変わります。会社の将来性を見抜く目を持つことも、幸せを掴む重要な要素ですので、情報収集は入念に行いましょう。

その他、農協は特に賞与が8か月分と多かったのですが、基本給が少ないと賞与も大した金額にはなりません。(特に高卒の私など微々たるものでした。)賞与は会社の状況によって大きく変動しますので、まずは基本給の金額を重視した方が良いと思います。以上が、私が高校生の時に検討した内容です。

自営業はレゴブロックを組み立てるような面白さ

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私は、資格の勉強を長く続ける間、短期アルバイトを数多くしてきました。その経験を経た中で一番大事だと思うのは「やりがい」です。ありきたりな言葉ですが、その具体的な中身は分かりづらいと思いますのでお話ししていきたいと思います。

私はこれまで約11年間自営業を続けてきましたが、率直に「会社員は嫌」と感じています。なぜそんな風に思うかというと、それは「罪の意識」を感じるからです。

会社員は、自分の会社が扱う商品についてどんな感想を持とうと、一旦会社に命令されれば、嫌でも販売しなければなりません。

私は農協に勤めていたとき、これが苦しくて苦しくて仕方ありませんでした。共済や保険の勉強をする最中に、他の会社の商品の方がお得であることを知ってしまうと、顧客の勧誘に罪の意識を感じてしまうのです。

しかし自営業は何を売るかは自由です。売りたくなければ売らなくていい。自分が良いと思う商品やサービスだけを販売できます。自分自身が良いと思うサービスを売るのなら、自信を持って売れます。それは私にとって大きなメリットでした。

私にとって自営業は、レゴブロックを組み立てるような面白さがあります。「こんなことをしたら面白いのではないか?喜ばれるのではないか?結果を出せるのではないか?」とイメージを膨らませ、じっくりビジネスの構想を練り上げて行きます。

そして、ある程度の構想がまとまったら一つ一つ実行。誰に何を言われることなく自由にできます。自営業は「自己責任」の世界ですが、私にはその方が分かりやすくて性に合っていました。

ただ、私が面白いと思うことも、人によっては不安や苦痛を伴うことと感じられることはあると思います。勉強が嫌いな人に、いくら「勉強は面白いよ!」と言ってもすぐに勉強が楽しくなるわけではありませんよね。それと同じです。

楽しさを理解するにはある程度の努力は必要です。もしかしたら、勉強というものは、世の中の様々な楽しさを知るための準備なのかも知れません。

続き・・・「国家資格の勉強」

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